ショパンの舟歌に想う事(Op.60)

ショパンの舟歌。
言わずと知れた、ショパン晩年の「傑作」です。

ショパンの大ファンな作家平野啓一郎さんも、
「彼の傑作を敢えて選ぶとするならば、『舟歌』。」
というような内容の文章を、著書に書かれていました。


自分がこの曲を弾く日が来るなんて、
思ってもみませんでした。
「舟歌なんてとてもとても…」ってな具合で。

でも私のピアノの先生(以下、S先生)は、
私が勝手に上げてるハードルを、グッと下げて、
そーんなに身構えなくていいのに!っていうメッセージをくれて、
そのたびに、
挑戦しちゃおっかな?っていう気持ちになります。


この「舟歌」は…
普段、曲にはタイトルをつけないショパンがタイトルをつけている、という意味でも
きっと他の曲とは違う何かがあったのだと思うのですが

そんなことより(失礼)、
音の並びがそれはもう美しくて、
思いもよらない重なりがあったり
ペダリングも「えっ、そこ踏みっぱなし!?」と思うところもたくさん。
譜読みも間違えまくって、先生に迷惑をかけてしまいました。


一般的に「舟歌」と言ったら、
ヴェネツィアの~ とか、ゴンドラで~… とかを
想像されると思うし
この曲の左手のパッセージは明らかに、
水の揺れを表現しているはず。

だけど、この曲の初めてのレッスンの時に私は
先生に、

「先生は、曲に取り組まれるときに、
 何か情景などをイメージしているんですか?」と、聞いてみました。

先生のご回答は
「しません。僕は、『情景』より、『感情』で動くタイプです。
 その瞬間の『音』が美しい、という想いで弾いています」
というものでした。

私、感激しました。
感激、というか、嬉しくなりました。

なぜなら、私自身が情景やイメージを思い浮かべることが不得手で
昔から「人形をイメージして」とか「たなびく雲がどーのこーの」とか言われても
ピンとこなかったんですよね。
だって、その人がイメージしてるものと、違うかもしれないじゃない?

「音」そのものに感情が揺さぶられる気持ちが、
同じ(もちろん先生にはとても及びませんが)だから、
私はS先生を慕い続けているんだな、と思いました。


この曲の、出だし。



左手のオクターブ。この音。

傲慢かもしれないけど、この音から、空気をつかみたい。
というか、空気をつかむための音だな、って思います。

どんな空間(ショパンは小さなサロンで弾くことを好んだ)でも、
その会場をグッと掴みたい。

強くてはだめ。弱くてもだめ。
ちょっとマニアックなのですが、
空気をつかむ音って、強弱ではなくて
『間』と、『バランス』と、『伸び』だなぁと思います。

そして私は…
もうほんとに、ほんとに身の程知らずを承知で書きますが、
この曲を、聴いたことがない方々に聴いて頂きたい。
そんでそんで、
「ショパンって… ウルウル」 って、
感動を届けられたら。
私の演奏で、ショパンのファンが増えたら、
ピアノ弾いてきてよかった、って思うに違いないなって。

楽譜は、作曲家からの手紙。
だから、その通りに弾くことが大切。

S先生から教わりました。

僭越ながら
私もそんな気持ちで、弾いていきたいと思います。



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