子育てをやり直したい、と思ったときに思い出す友人の言葉。

『子育てをやり直したい』
だなんて、もし、私の子ども達がこのブログを見ることがあったら、
ショックを受けてしまうと思うので、まずは補足から。

これは決して、子ども達の育て方を間違えたからやり直したい、
という意味ではありません。
こんなに立派に私のもとで育ってくれて、そばにいてくれて、
ありがたいと思っているし、
同じくらい、申し訳ないとも思っています。


最初の「やり直したい」という一文は、
『私自身が、子ども達が小さい頃の時間を、もっと大切にすればよかった。
 もっと笑って、ゆとりをもって、楽しいことを第一に過ごせばよかった』
という意味です。


思春期を迎えた子どもたちが、親から離れていく。
これは当たり前の構図なのでしょうが、

私自身、自分が思春期の頃は
母親の支配下にあって離してもらえなかったので、
自分の子ども達が思春期になる頃の姿が、想像もつかなかった。

子どもって、こうやって徐々に離れていくんだな、と
成長を客観的に感じているこの頃です。

こういう日が来る、って分かっていたなら…

離婚するからとはいえ、
あんなにがむしゃらに働かなきゃよかったな、とか
だっこ!って言われたときに、
ほんの数分なんだから、抱っこすればよかったな、とか。

あんなに小さかったのに、あんなにかわいかったのに、
私は、自分を保つことにいっぱいいっぱいで、
彼らへの愛情が足りなかったんじゃないかな… って
申し訳ない気持ちになります。










そんな気持ちを、前に友人のⅠちゃんに会ったときに
やり直したいなーって思うんだよね、って
実はジワジワ涙が出てきそうになりながら話したら

『○○(私)ちゃんは、よくやっていたと思うよ!
 きっとね、やり直しても同じ!笑


この言葉。
最っっっ高でした🌺

とっても爽快で、クルッと気持ちを切り替えてくれた。


・・・そっか!!!

って。笑

台所の、いつも見えるところに貼っている写真。
毎年、動物病院で撮ってくださる唯一の家族写真です。


私は多分、私なりに必死だった。
あの頃(離婚時)の家の中で起きていたことは
本当に何も覚えていないくらいだし、
どうやりくりして生きていたか分からない。
忘れようとしたのかもしれません。

思いっきり寄りかかれるところが欲しかったのに、
それどころか、母親と衝突しまくって、体重も激減した。
職場の上司も最悪だった。
よく倒れなかったな、って思う。

むしろ、自分を傷めつけていたんですよね。
私、どこまでやったら倒れるんだろう?って。
傷めつけている自覚がありました。
かなり無理をして。「ラク」をしてはいけない、って。
ある意味、自傷行為だったと思います。

そしたら足を挫いて、ヒビが入って、
思うように動けなくなりました。
あれは、「もうやめなさい」って、
見えない力が止めてくれたのかもしれない、と
今でも振り返ることがあります。
ヒビで済んでよかった。

友達もたくさん心配してくれたのは、
そんな私の様子に気付いてくれていたんだろうな、って
今だから思います。


きっと今やりなおしても、同じ。
何度聞いても(言っても)、ラクになるし、なんだかクスッと笑える。
その時その時の私が必死にやってきた結果が、今だもんね。

それなら、これからも、これまでどおり
自分にできる範囲で、
あわよくば、今までよりラクになるように生きていこう。
どんな状況でも、悔いはあったはずだから。

できなかったことよりも、
子ども達と生きている今、自活できていることに
もう少し自信を持ちたいです。

***

ちなみに、
私は実家にいる頃(結婚前)、母親に
『お前の育て方は、本っっっ当に間違えた』
と、怒鳴られたことがあります。
きっと私が彼女の気に障ることを言ったのだと思います。

あの言葉は深く傷つきました。
失敗作かよ、って。
まぁ、失敗作なんだと思います。今でもそう思ってる。

ね。自己肯定なんて、できるわけないの。

子どもが大きくなるにつれ、
自分がどう育てられてきたかを思い出す。
フタをしていた自分の気持ちが蘇って、
あの頃の私、かわいそうだったな、って思って、
これもまた、泣いてしまう理由のひとつ。
てか、泣いて良いんだよね。

私のこの人生も、
やりなおしたところで、きっと同じことの繰り返し。

もういい加減、とらわれず、
うまく流して生きていきたいものです。




Clickして頂けると嬉しいです。
  ↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村

コメント