*紫陽花*【長男から教えてもらった、『未完成』という概念の芸術】


花より団子、団子より刺身。
…といった感じの、私の人生。
 
花にはそれほど興味がないのですが、
紫陽花はなぜか、とっても好きです。

この時期は、ご近所の生け垣や道端、
通勤途上の公園などに、
様々な紫陽花を見かけることができて
 
嬉しいような、切ないような気持になり
自然とカメラ(スマホ)を向けてしまいます。
 
なかでも、下の写真のような
『咲き始め』の頃の紫陽花が、一番好き。

 
先日私が、
「満開よりも、これくらい(上の写真)の咲き具合の時が、すごく好き。
 全部咲ききったらあとはもう枯れるだけだから。」

と言ったら、隣にいた長男が
 
「お。日光東照宮の逆柱だね。」と言いました。

・・・それなあに?
と、不勉強な私は聞き返しました。

修学旅行で日光に行った彼は教えてくれました。

「物は、100%完成すると、あとは衰退していくだけだから、
 東照宮を建てた人たちは、柱を一本、わざと逆さまにして
 『完成』とはさせなかったんだよ。」

と。

ほぇー!!すごーい!!
と、ただただ感動。

私もこの子みたいに、
しっかり人の話を聞いていたら
今頃、すごく充実した人生だったかもしれないな、と
改めてわが子を尊敬しました。

目で見て、体験して得た知識は、人生を豊かにする。
ということを、子どもから教わっています。
東照宮に行ってみたくなりました。

 
もちろん、満開の紫陽花も好きです。
なかでも、『一輪だけ』というシチュエーションは大好物。
その子だけに焦点をあてたくなります。
 



実は昨年、
紫陽花の名所と言われる場所に行きました。

だけど、あまり良い思い出ではありません。

名所と言われるわりに、そんなに整っていなくて
雑多な感じがしました。時期と好みの問題かもしれませんが。

なにより、一緒に行った人が「疲れた」を連発していたので
私もなんだか、すごく疲れてしまった記憶。

この時期の思い出を、素敵な思い出で上書きしたいです。
 
私は多分、わざわざ見に行くよりも、
ふとした時に目に留まるものが好きなんだろうな。

もしかしたら、
ふとした時に花が目に留まる時、というのは
自分の心に余裕がある時なのかもしれません。

***

どんよりした空模様も、
じめじめした空気も、
その大きな葉っぱで受け入れて
この季節にふさわしい色を見せてくれる。
 



この時期にしか見られない
深くて、優しい色を、楽しみたいです。


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